八極拳の歴史、李書文の技術と経歴、李氏八極拳の形成と猛虎硬爬山②

八極八卦練技拳社・東京板橋教室では、冬期、春期の新規練習生を募集しています。今冬期に入会した、新しい練習生にも解りやすいように、当道場で練習している、八極拳と、名人である、李書文について、前回の記事に続いて、簡単に説明します。


八極拳の名人である、李書文は、1864年 - 1934年に生き、中国・河北省滄州市塩山県出身です。


元々、貧しい農家に生まれ、黄四海、張景星、金殿臣より八極拳を、黄林彪より劈掛掌を学びました。


昼夜を問わず練習に没頭し、急速に実力をつけた李書文は、師や兄弟子からも一目置かれるようになったと言われています。


当時、袁世凱が、天津で兵站訓練を行った際、著名な武術家を教師として招きました。


師の黄四海は、老齢を理由に弟子の李書文を推薦し、李書文は、師の代わりに天津にて、兵士を教練しました。


この時期に、他の武術家と交流を持ったとも言われています。


また、この時に、会長に李瑞東(太極拳)、副会長に馬鳳図(通備拳)を据えて設立された武術家の団体中華武士会に、李書文も八極拳の実力派として参加したと言われています。


李書文と交流を持った武術家は、張占魁(形意拳)、張景星(八極拳)、郝恩光(形意拳)、霍殿閣(八極拳)、馬英図(劈掛拳・八極拳)などが挙げられます。


また、軍事力の必要性が高まる時勢に、地方軍閥の将軍に高く評価された李書文は、軍事・武術教練として、各地に招聘されました。


1925年には李景林将軍に招かれ、弟子の霍殿閣と共に部隊の武術教官に赴任し、1926年には沈鴻烈に招かれて、子の李萼堂や魏鴻恩らを伴って山東省へ赴きました。


この時期に、中国各地で、その高い実力を知らしめたようです。


これにより、滄州の一流派でしかなかった八極拳は、李書文の名声と共に有名になりました。


李書文は、小柄な体型であったと云われています。


得意技には、「六大開拳」(門派によっては、八大招式に数えられる)の一つである、「猛虎硬爬山」があり、ほとんどの他流試合において一撃で相手を倒しました。


また、李書文は「千招有るを怖れず、一招熟するを怖れよ」と弟子達に教え、「套路」(型)より、招法の訓練を重視したと云われています。


この李書文には、多くの弟子がいます。


この李書文の「八極拳」を主に、「李氏八極拳」と称しますが、現在では、多くの伝承者がいます。


李書文から、直接学んだ弟子には、多くの優れた武術家が生まれました。


特に、中国最後の皇帝であった、愛新覚羅溥儀(ラストエンペラー)に、八極拳を教え、護衛(ボディーガード)にもつき、「長春八極拳」の系統を確立した霍殿閣や、関門弟子であり、戦後の台湾総督となった、蒋介石のシークレットサービスや、軍隊の武術教官を行い、台湾の八極拳の系統を確立した、劉雲樵が有名です。


当会では、この李書文系の「八極拳」(李氏八極拳)を練習しています。







八極八卦練技拳社に興味のある方は、お気軽に下記メール、又は電話番号までお問い合わせ下さい。
見学、体験、受付中!!
TEL (09098331246)
mail w27e4d846ezq98s@t.vodafone.ne.jp


【ホームページ】
https://sites.google.com/site/hakkyokuhakke2016/











「ブログランキング」に参加しています。下記を押して頂けるとランクが上がります。ご協力お願いします。

○ブログ村○



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック